2025.9.10
まずJBL4343のツイーターJBL2405の結線を外して、デッカのリボンツイーターを4343の天板の上に載せ結線します。仮想実験ですからツイーターの能率は殆ど同じで周波数特性もクロスオーバー周波数と音圧の調整で測定器で計測しても同じにしておきます。設置場所が異なるのでユニット同士の干渉、位相特性などはかなり変わりますがこれも考慮しないとしておきます。
選ばれたレコードでJさんは試聴を始められました。私は自分の意見は言わずただJさんの顔色を伺いながらAさんのご感想を書きたいと思います。
Jさんは音が出て10秒もしない間に、眉をしかめられて表情が暗くなりました。困った様子です。そして第一声、うーん、こんなに変わるなんて思ってなかった、本当に同じ周波数特性で再生されていますか?私は持ってきたポータブル式の周波数特性測定器で20-20KHzのグラフをお見せしましたらちらりと見て、周波数の問題では無いみたいですねと言われました。
「いくつか気に食わない鳴り方に気づきましたが、一番酷い点から言いましょう、まずはまるで初めての演奏会場での出だしみたいなしらけた雰囲気になり、グルーブ感が薄れてしまいました。これでは私がジャズを毎日のように聴く理由が無くなってしまいます」
通常クラシックだけをお聴きになる方はグルーブと言われても?マークだと思います。クラシックには普通使われない表現ですが、全く違う世界の言葉と見過ごして良いのでしょうか?私個人の経験ですがクラシックとモダンジャズの表現の違いを自分なりに掴みたいと思っていた時期が有りました。その頃を思い出してみますが、通いなれたジャズ喫茶にマスターに訊ねてみました。クラシックで聴く曲は?「まあ普通は聴かないけどグレングールドとカザルスは例外的に聴くよ、聴いていて我慢しなくて良いからだ」理由は教えてくれませんでした。その時に私はジャズだけ聴く方にはスイングというものが最も大切なんだなと感じました。カザルスとグールドの共通点を無理やり探すとスイングに近い演奏スタイルが確かに有ります。音楽が前に前に運ばれて行く感じがそれです。
ではクラシック演奏者にはスイングについてどう思っているのか?殆どの演奏家は困った顔をするに違いが有りません。またスイングしているクラシック演奏家はいるのか?と考えても直ぐには思い付きません。スイングとグルーブはどう違うのか?私もジャズマニアで無いからここでは説明出来ませんが、似た意味では有るように思えています。興味持たれた方はご自分でお調べ願います。AIに聞くのが近道かも知れません、私も聞いてみたいです。またやってみます。
はっきり言ってしまうとジャズには通常のクラシックの音、きれいな音で構成しているが、この所謂きれいな音以外に汚い音、クラシックでは通常使われない、あるいは普段出してはいけない音がどうしても必要です。汚い音ばかりだと言う意味では無くて汚い音も表現のためには重要だと言いうことです。
この反対の汚い音、不協和な音はクラシックには不向き、これも例外は有ります。特に現代音楽ではジャズと同じく不協和な音も重要な意味が有ります。しかしこんな話を聞きました。ピアニストのルービンシュタインの娘さんが神戸に演奏にこられました。その時私の音楽の先生と同行したのですが、演奏会の後で先生が私に聞かれました、いったい誰があのピアノの調律をしたのだろう?その位に見た目がボロボロの小ホールの日本製ピアノは美しい音でした。そのピアニスト、ルリオズワルドさんの演奏は感動的でした。そして後からこんな話を知りました。オズワルドさんはブラジルの方でルービンシュタインが時々ブラジルを訪れられた時にブラジルの王女?との間に生まれた方、訪れる旅にピアノを教えたそうです。その時にいつも教えられたことは、どんないつらい時、悲しい曲であっても決して汚い音でその悲しみを表現してはならないということだったそうです。
私が好きな、少し弾ける?ようになった、そのショパンのノクターンでは一か所暗い音符が出ます、ルービンシュタインはやはりこの音はとても小さく、隠れるように弾いていますが他のピニストは気にせず、作曲まかせの運びで弾いている方が多いです。これもまさにタッチによる倍音構成を変化させている一例でしょうね。
また和声の価値観も超一流の音楽家の間でもいろいろ有るようです。一例ですが中野雄さんの著書からです。ベルリンドイツオペラオーケストラの首席オーボエ奏者の渡辺克也が話されたことですが、「私達日本人に一番欠けているのはハーモニーの感覚です。つまり和声感。吹いていてふと気が付くと自分のオーボエだけが他の楽器と奏でる和音の中で何となく浮き上がって聴こえてしまうことが、時々有ります。ドイツの連中は、個々の腕はともかくとして、こと合奏ということになると、積み重ねられた和声内部の自分の位置に、スルッと音を滑り込ませてしまう。ごく自然で何の抵抗もないんですね。我々は意識して正確な音出しをしなければならないのに」と有ります。なんと重要な体験なのでしょうか?浮き上がっている時は他のメンバーとは違う倍音構成の音を出していたと言い換えても良いかと考えられます。
私は音楽よりオーディオが先でしたから当然、育った環境に音楽は有りません。幼児時代のテレビ、学校授業の唱歌、自宅のオルガン、電蓄も軍歌のSPレコードと和声のかけらも無い育ちでした。今はこんなこと書くくらいですから、和声については少しは理解しているつもりです。しかしそれが解かった、理解したのは児童コーラスの先生に教えて頂いたからです、レコードでクレンペラーや、クリュイタンス、メンゲルベルクの和声感の素晴らしさを解説して頂いたからです。それが無ければインフラノイズはただのオーディオメーカーで終わっていました。ただのオーディオメーカーでは無いぞと豪語出来るのは和声に対する理解なのです。自分の能力は自分では評価出来ないが友人の音楽家が向こうから私の和声感を褒めてくれたことが有るのでまあ少しは和声感のある、日本人であるのは間違い無いと思います。
しかし皆さん、心配は要りません。和声感の優れた演奏を何度も聴いていれば理屈はどうでも、和声表現が不得意なオーディオシステムには我慢ならなくなるのは間違い有りません。クラシックには慣れが必要な理由の一つなのかも知れません。
この実際の演奏や音楽家の話からスピーカーの正直な倍音構成表現が大変難しいことがお分りになられたと思います。表面的な物理特性で倍音構成をコントロールするのは不可能とお考えいただくのが正しいと思います。スピーカーのコーン紙を1000種類色々試作してみても一台の合格モデルが誕生するのが難しいことをご理解頂けると思います。長らく日本製のスピーカーが海外で不評な理由、またレコードやCDでも海外盤が日本盤に差を付ける理由がこの和声感に有ると考えられるかも知れません。
続く
2025.8.31
Youtubeで相手任せで音楽を聴いてたら面白いバッハに当たりました。琴演奏のシャコンです。琴バッハというレコードを一年前に見つけて聴いて,あまりのも予想外の演奏でがっかりしていましたので和楽器でのバッハは無理だなと思ってました。琴の倍音構成からしてバッハのポリフォニーは絶対無理だと決め込んでいたようです。それが一昨日、ショッキングにも自分の無知がさらされました。5秒ほど、琴それも二十五弦という大型の琴です、もう震えあがりました、聴いたことの無い迫力でした。特にシャコンヌは好きで殆どのヴァイオリニストの音源を持っています。最近このブログの話題でヴァイオリンの種類が出てきましたので聴き直したりしていたところだったわけです。リュート他の弦楽器と違いボディがかなり大きなことも有り、低音の量が違い迫力につながりますが、それ以上に倍音が西洋楽器と異なる、和楽器です。ヴァイオリニストがシャコンヌやパルティータを弾くにはガルネリデルジェスを好む理由がこの琴のシャコンヌで解かるのです。まるでガルネリデルジェスのような響きが有る、ヴァイオリニストに聴かせたいと思いました。
でも和楽器の音色は高域の倍音構成が複雑だからサキソフォンと同じでアンサンブルには適さない音です。しかしそれが何故バッハのシャコンヌの演奏が出来るのか?ヴァイオリンの独奏者がデルジェスを好む理由が答えでした。高域の倍音構成が複雑で、思い切った表現が可能だからです。ではデルジェスは琴と同じ和楽器的な音色だからオーケストラには向かないのか?楽器がヴァイオリンだけれど高域の倍音構成がストラディヴァリウス等のポリフォニーを特に意識したもので無いだけで傾向が独奏向きと言い換えれば話の筋は通ります。二十五弦の琴がデルジェスの音色と似ているとはこじつけが過ぎるかも知れませんがこの例えで倍音構成をご理解いただけると嬉しいです。
しかし私の耳にはガルネリデルジェスの大型を聴いたのでは無いかと思えたほど衝撃的でした。Youtubeの琴シャコンヌのアドレスを貼り付けておきますのでぜひ聴いて下さい。
注文した彼女の演奏CDはアマゾンから今日届きました。彼女の名前は木村摩耶という方です。日本人もどんどん世界的な凄い芸術家が現れるものだと幸せに気持ちです。有難う御座いました。次回はJBLの話に戻ります、すみません。
2025.9.11 追記:
その後ハープでのシャコンヌを見つけました。アドレスを琴シャコンヌの横に貼り付けておきます。
25弦琴と同じような構造,大きさの楽器ですが和声文化の中で育った楽器ですから非和声?(表現が悪いですが)の中で育った琴とは音色が全く異なります。発声するきっかけはハープが指先で有るのに対して琴は樹脂製の硬い爪です。これからしてもエレキギターのピックとアコースティックギターの指頭の差、チェンバロとピアノの発声の差などが思い浮かびます。和声は立ち上がりの鋭い音を歓迎しないのかも知れません。その意味では琴の音色とデルジェスの発声は似ているのか、似ていないのか?発声の瞬間も関係有るが、その後の倍音構成がかなり異なるのでは無いかと琴の音声スペクトラムを調べてみましたが、西洋楽器とかなり違う特徴が出てきました。和声文化と非和声文化では音色の価値観がかなり違うようです、わび、さびの研究も必要になってきました。倍音構成だけで説明したかったのですが、文化についての問題は奥が深いです。この二つを聴いてみると音色の違いと言うことが解かりますが倍音構成の違いとは何かと考えて見るとデルジェスとストラディヴァリの違い、ベルカントとブルガリアンポリフォニー、ピアノとチェンバロとか、アンサンブルとソロなどいろいろと関連が見えてきます。ピアノはチェンバロと比べて打楽器的で発声が固い爪での発声に近い?ですがフェルトのハンマーだからやはり和声表現のための楽器に入ると考えます。まさに和声は音楽の発展の結果だろうと読めます。ここでも倍音構成が直接和声への価値観となっています。ピアノの整音とはフェルトの硬さの調整でも有るのを思い出して下さい。
音楽の世界では自然に住み分けられていますが、オーディオではごちゃ混ぜがご理解頂けると思います。
それにしてもいつものこじ付けで言えば、ハープはストラディヴァリウスの音で25弦琴はガルネリデルジェスの音に似ているという表現もまんざら間違いでは無いなー、と感じるのは私一人なのかー(笑)
2025.8.22
いくら好き放題書いていると言っても、現行販売中のスピーカーについてどのスピーカーの倍音構成が正しいとか間違っているとかは実名で書けないので、ヒントを書いて皆様に推察して頂くしか方法が有りません。一生懸命書きますのでよろしくお願いします。まずはお使いのスピーカーシステムがご自分の本当にお好きなジャンル演奏に適したものかを知ることが一番大切なことです。ご自分の現在使用中スピーカーを選ばれた動機は?オーディオ誌とかを参考にされての決定が普通だと考えます。思い切って再検討されるのは幸せへの近道かも知れません。倍音構成の正しさとスピーカーの販売価格の相関は今のところ有りません、ご使用中のスピーカーの価格の1/10で遥かに自分の理想再生音に近づいたという結果も充分考えられます。
どんなジャンルの音楽でも聴くから、オールマイティなスピーカーが欲しいとか(これが一番難しいことなのです、プロのスタジオが正に欲しがるモニタースピーカーがそれです、しかし扱う音楽のジャンルがほぼ決まっているようなスタジオなら、そのジャンルが自分に一致するならそっくり同じモニタースピーカーを選ぶべきです)簡単にスピーカーを選ぶなら、マーケット的に、世界的に定評の有るレーベルが実際に使用しているモニタースピーカーを調べて見ることから始められことをお勧めします。どんなジャンルの音楽も全て満点で再生したいと言う方は上記の様にとても難しいことなので、それをご理解頂き引き続き探されるか、直接私にコンタクトされるかあるいは(できる限り私の知る範囲でお教えしたいと思います)諦めて頂くかです。最高クラスのスタジオレベル、値段は無視して音質だけの話としてですがそこまでは要らないと言われる方は私の意見など無視なさってオーディオ誌、販売店、ネット情報などを参考になされば良いと思います。私の意見が役立つと思える方は以下の方です。入手出来る可能性や値段は無視してとにかくいかなるジャンルの音楽も世界最高レベルで聴きたい方、クラシックがメインで有るがアコースティック楽器演奏の他ジャンルも聴かれる方、歌謡曲のみ聴かれてクラシックは全く聴かれない方が参考になされば有難く思います。モダンジャズのみ聴かれクラシックは全く聴かない方も同様。私はロックは全く聴きませんので私の意見はロック専門に聴かれる方には役立ちません。日本の民謡や演歌の場合は詳しく有りませんが、少しは役立てると考えます。全てのジャンルにお役に立ちたいとは思いますが、美術や絵画の世界と同じで好みで無い世界は理解が難しいので仕方が無いとお考え願います。
では思考実験に入りたいと思います。頭の中での経験、想像で倍音構成を実験して頂きたいのです。後日、実体験の可能なシステム、機会が有るならご自分なりにアレンジして是非お試しください。必ずいつも聴いている音源を2-3種類用意してその再生音が自分の理想か、そうでないかで結果を判断してください。同席なさる方がおられたら意見を求めないことです。あくまで自分の為のシステム構成のためです。判断に自信の有るソースを選び、今まで自分のシステムでも判断の難しかったソースは使わないようにしてください。
まず思考での実験ですが、始めにご友人でジャズしか聴かない方J氏、全く聴かないというより聴いてもジャズほど真剣に聴かない方がおられるとします。やはりソースはアナログレコードで常用カートリッジはもちろんシュアーのM44でオリジナル交換針はいくつもお持ちです。オルトフォンMCやEMT、GEのバリレラもお持ちですがオルトフォンやEMTについてはなぜかアームに付いているのを私は見たことは有りません。一度私のシュアーV15をお持ちして聴いて頂きましたが無言でした。スピーカーシステムはJBLの4343の最初期型です。
もちろん鳴らすソースは60年代のブルーノートを3枚選ばれました。これからが脳内実験です。こちらで用意したのは外付けツイーターとネットワークです。そのツイーターとはデッカのリボンツイーターです。4343付属と同じく音響レンズが付いているタイプです。JBL2405ツイーターとデッカでは能率が酷く違うので実際の実験では音圧を合わせるのが大変ですが、思考実験ですのでどちらもが全く同じクロスオーバーで能率も全く同じと考えます。ツイーターだけを繋ぎ変えて実際の特性を測定器で測っても殆ど同じグラフになるとします。出てくる音質、音色、鳴り方が違うだけです。
さあ結果はどうなるのでしょうか?
次回はクラシック音楽しか聴かれない方、C氏の登場を予定しています。
続く
2025.8.17
サキソフォンがクラシックのオーケストラでのアンサンブルに適した音では無い楽器だと言うタブーな話題になったところで、それがどうしてかと言う理由に入る前にまた書きたいことが出てきました。偶然のタイミングです、それもクラシック音楽の演奏の長い歴史の中でもアンサンブルに適しない?ヴァイオリンの名器が昔から存在していた事実です。
オーディオの年配のベテラン音友達で、元大手の家電オーディオメーカーのエンジニアからDSFファイルのCDR化を依頼されました。演奏ファイルはいくつか有りましたが最近の演奏家のものが多かったのですが、私はネットオーディオには疎いので最近の演奏家は知らない人が殆ど、単なる怠け者でレコードやCDで手一杯で、オーディオビジネスに有るべきであるオーディオの現代常識が全く無い情けなさもそれに拍車をかけています。すみません。
ヴァイオリン独奏のファイルで音質もかなり良いのが有りました、一つは力強い音で男性的な音色で驚きました。最近の方ではHimariさんやヒラリーハーンとか知っている方もいるのですが、今回は聴いていてすぐに弾き手も凄いが楽器が抜きんでている、ガルネリデルジェスの音とすぐに解りました。オーディオに目覚めた頃からリッチのレコード、クレモナの栄光はレコードを何枚も擦り減らしましたから、ストラディヴァリウスの差とデルジェスの差は区別はつく過信(自信では無いのですが?)は有ります。自家用の装置が情けないことに今頃やっとその録音の楽器個体差が完全に解るようになったからで、昔はそんな感じがするくらいの差しか区別できません。この二つの名器は耳で聴き分けるのが難しいのです。生では明らかな差が有る、だれでも区別出来るのに、オーディオになると何故判別が難しいのか?これははっきり断言できます、最近ブログで長々書いてきた倍音構成にその答えが有ります。オーディオ装置に潜む、倍音構成を変化させる要素、これがガルネリデルジェスとストラディヴァリウスの音色の差でオーディオ装置では判別出来ない理由だったのです。
どちらの楽器もが億円単位の差が出る部分、まさに倍音構成の違いが一般楽器との差なのです。長い歴史でヴァイオリンの研究家が探し求めている秘密、クレモナの秘密は一言で言えば倍音構成の差なのです。仕組み、構成として何が倍音構成を決めているかが解らない結果、未だに世界一は揺るがない?オーディオのスピーカーシステムの方が、解明されているのか?クレモナの楽器と同じく秘密は解明されていないのか?金額には差が有るけれど同じ理屈なのだと考えていますが。
元に戻ってそのガルネリデルジェスを?私の耳での印象だけで決めつけたのですから間違っている可能性が有ります。テレビで芸能人が集まり、ワイン、料理、楽器の本物を当てる番組が有ります、演奏する楽器の優劣、本物を聴き分けるテストも有ります。過去に観ている私も耳で参加したのですが、今まで一度も当たったことが無く全て外れました。100パーセントの不正解でしたが、逆に裏返したら100%の正解なので逆に自信を持ちました。理由はこここには書きません。番組で生出演してたら多分100%近い正解をする自信は有ります。
AIに頼んで調べたのですがどうもカンは当たっていたように思います。ただ男性のヴァイオリニストだと思ったのは見事に外れました、女性でした。驚いたことに彼女はストラディヴァリウス、ガルネリデルジェス、ガリアーノと三種類もの名器を音楽財団から借りられておられることが解かってきました。マリアドウエニヤスさんという若い女性です。
音を聴いてガルネリデルジェスだと感じたのでブログに書く以上調べないと無責任なのでパガニーニのカプリースのレコードでの演奏楽器のクレジットが無いか調べましたが記述は無いようです、またDSFとCD録音が同じ楽器とは限りませんし、DSFの動画らしきものを見る限りデルジェスのように見えます。また名人が弾くとストラディヴァリウスでもガルネリデルジェスのような?音も出せます。その逆は難しいと感じていますが?ということでこのDSFの演奏がデルジェスだとの証拠は見つかりませんでしたが、そうであるということで話を進めさせて頂きます。
続く
追記:
もう一つ偶然が重なりました、夏休みの時期のせいか同じく音友達のM博士からの依頼が有りました。音質の良い最近のレコードということで送られてきたレコード、ヒラリーハーンのイザイのソナタです。彼女の演奏はいくつかCDで所有しております。いずれゆっくり聴いてみたいと思っておりましたがレコードは初めてです。世界的にもやはりレコードは結構発売されているんですね。海外盤ですので本気で聴く事にしました。CDで聴いた彼女の演奏はヴァイオリンが何かとか考えませんでしたが、若手で人気があるからまあストラディヴァリウスかなと考えていたのかも知れません。レコードはマスターがデジタルだと聞いておりましたのでそれらしき感じの音でした。しかし先日のDSFでのガリネリデルジェスのすぐ後でも有り、これはストラディヴァリウスでは無くてどうもガルネリデルジェスのように思える、デジタルマスターのせいも有るがストラディヴァリウスをデルジェスのように弾いているのかも知れないかなとも感じましたが、やはり何かデルジェスの感じは有ります。私にはデジタルの音はガルネリデルジェスやサキソフォンの音の再現がクラシックオーケストラの音より再生が有利?という偏見が有ります。これもAIに調べてもらいましたが見事に外れました、ストラディヴァリウスでもガルネリデルジェスでも有りませんでした、またそんな一流、まあこの楽器も一流でしょうが、この二つの楽器と比べて少し?ランクが下なのか?このあたりの専門的な評価は知りませんが。彼女の楽器はビヨームと言う楽器です。写真を見るとガルネリデルジェスに思えるF孔で不思議に思えましたので詳しく調べて見ました。カンは外れたのですが、本質的な部分でのカンは見事当たっていたようでおみくじで大吉を引いたくらいに嬉しいです。ビヨームと言う作家はクレモナの楽器のコピーを沢山造っていた方のようで、ストラディヴァリウスやガルネリデルジェスのコピーで有名みたいです。特筆すべき特徴はコピーを造っても作家自分自身の主張を入れてプライドを保つ人が多いのに、ビヨームさんは忠実に原作を模倣されていたようで、特にガルネリデルジェスは、主たる特徴でもある楽器の非対象性まで忠実にされていたとか?私がガルネリデルジェスだと見誤ったのは無理も無いなあとほっとしました。形が非対称だから音もアンビギュラス、非対称の音色のヴァイオリンは有るのだ。
これで話が続けられます。ご安心下さい。
追記2:2025.8.18
上述のガルネリウスは全てガルネリデルジェスを指します。ガルネリウスという楽器はデルジェスだけでは無くガルネリ一族の楽器がかなり有ります。その中で傑出したのがガルネリデルジェスという製作者の作品です。単にガルネリというだけではデルジェスで無い場合が有ります。音質はヴァイオリン専門家に聞いた話ではやはりガルネリ一族の音質というのが有るようです。しかしデルジェスは特別でストラディヴァリウスより高い値段が付くことも有るらしいです。
デルジェスは特にソリストが好みます。オーケストラの他のメンバーに混じった場合はどうなのでしょうか?指揮者によりますが多分睨みつけられるのは間違い無いと考えます。カルテットなら音の特徴の一つとして成立する場合も無いとは言えないのですが、やはりソリストの為の名器でしょう。サキソフォンと並べて、この二つの楽器はオーケストラでアンサンブル出来る楽器では無い、とこじつける気は有りませんが倍音構成という概念のご理解のために引用しました。
この二つの楽器の共通点はと?考えるとどちらもがソリスト向きの音色でアンサンブル向きで無いという点です。では何故?もうお気づきでしょうが共通点は複雑な高次倍音とその量の大きさです。
オーケストラで演奏しているヴァイオリニストから聞いた話ですが、コンサートマスターの弾き方とその他のヴァイオリニストでは音の出し方が違う。高次倍音の多い音を出すとコンサートマスターからにらまれるので意識して普段は指板を緩めに押さえているとのことでした。全てそうでは無いでしょうがこんな話が有るからガルネリデルジェスで演奏するヴァイオリニストが一人加わることが必ずしも良いとは言えないことがご理解頂けると思います。
これほどに高次倍音の量、質は音楽の構成に重要です。すなわち現実に倍音構成が演奏の質を左右しているのです。オーディオでも全く同じ現象が有るのに話題にされることは有りません。
続く
2025.7.28
今日はやっとスピーカーや音楽の倍音構成についての具体的な話になります。この話はどうもタブーな領域、音楽のジャンルについて踏み込んだ話になり、音楽家やもちろんオーディオ関係者にもタブーな領域だと思います。これについて言及した文章も今まで読んだことが有りません。
音楽の内容により楽器が選ばれるのですがクラシックのオーケストラ、アンサンブルでは使用するのが無理な倍音構成の楽器が有り、正反対なことに、それらはジャズでは欠かせない楽器です。ジャズとクラシックは演奏でもすみわけが必要で、現実にそのすみわけが出来ているから表立って話題になることは無いという事実について触れようと思います。
そのような楽器はいくつか有りますがまずはサキソフォン、サックスと呼ばれています。
比較的新しく開発された時代の楽器でリード楽器、簡単にいうとクラリネットにトランペットのような朝顔ホーンを付けて音量を上げた楽器です。ベートーベンやモーツアルトの時代には多分まだ登場して無かった? だからクラシックオーケストラでは当然、作曲家も知らないからオーケストラと馴染まないのだろうと考えるのは早計です。
サキソフォンの発明以降はクラシックの作曲家もオーケストラとサキソフォンを組み合わせる新しいスタイルを試みています。チャレンジという気持ちもあったのでしょう。探してみると結構有りますがあまりポピュラーとしては認識されていないようです。逆にサキソフォン単独でバッハの平均律を演奏されたりしますが、私の耳には新しい試みで面白いとは感じますが、ピアノやチェロの無伴奏とは同じジャンルに感じることは本能的に受付ません。同じように感じた経験はお琴でバッハの演奏を聴いた時を思い出します。
ジャズミュージシャンが好んでクラシックのオーケストラの中で演奏したり、クラシックの演奏者がジャズのセッションに単独で参加することは滅多に有りません。友人の変態ビオラ奏者は大道芸的演奏を普通にやりますから例外も有りますが。一般的な話でです。これはジャンルが違うからと、好みが違うからと簡単に片づけられますが理由は?のままでした。
実際はオーケストラメンバーとして演奏するときはその為の音を出し、一人で大道芸をやる時はオーケストラメンバーとしては失格の音、極端にいうとガラスをこする音や悲鳴に近い音をわざと出すのです。楽器がそのような音を出す目的で造られたのでないのに奏者があえて造り出す訳です。
ビオラやヴァイオリンは叫びや風の音を出す目的で造られてはいません。ところがサキソフォンはそのような音を抵抗なく出せるように作られています。ジャズのような自由な音楽の表現のためにはそのような音が必要なのです。クラシックとジャズのどちらが上なのかという考え方は不要です。どちらもが正しく、ジャズの方が制限無く表現が自由です。貴族社会が関係したクラシックの歴史は表現に制限が有ったのかも知れません。優劣は有りませんが、物理的なすみ分けが必要だっただけのことです。
しかしです、オーディオではこれらの事実を全く話題にしません。完全なるタブーなのでしょうか?ジャンルについて装置が向き、不向きであるとの発言は時には営業妨害になるのかも?ライターなら絶対に書かないことです。
次は上記の考察が物理的に正しいことをお話しようと思います。
続く
2025.7.15 7.28追記有り。
演奏時の倍音構成をオーディオ装置で変形無く再生するのは大変なことだと直感的にご理解頂けたことと思います。それでは入力される倍音構成を変形することなくそのまま音波に変換できるスピーカーとはどんな物なのでしょう。振動板の分割振動が全く無く、周波数特性が真っ平で、物理的な歪が無く、過度特性の優れたスピーカーが有れば良いのです。しかし理想を実現するのは現実では困難です。過去の名器は物理的な特性が理想的で無いのに、何故正直な倍音構成の再生音が出せるのでしょうか? 楽器がどのように造られるのかを思い出して下さい。全く同じ音が出る楽器は無い、全く同じ演奏が再現出来ない理由は倍音構成が複雑過ぎるからです。ところが同じ倍音構成を再現するのは無理なのに反して、複雑な倍音構成の違いを人間は簡単に区別出来ます。
こんなに難しいことを過去の名器スピーカーのいくつかは実現しているのが不思議、一体なにが秘密なのでしょうか? 楽器の音、演奏の質などを感じ取れる人間の能力はとてつもないものです。AIもまだまだ追いつく事の無い超能力なのでしょう。この人間の超能力は感じるだけで無く、演奏をしたり、楽器を造ったりする能動的な力と絡んできます。
過去の芸術的スピーカーもこの力が生み出したものですから、製作者も説明出来ないでしょうし、物理的な方法の解説も無理だと思います。楽器の名器造りと非常によく似た現象ですから、素晴らしいスピーカーは楽器と同じく芸術的作品だったのです。ダイヤモンドツイーターとは全く異なるアプローチです。
では全帯域スピーカーのコーン紙を後から加工して、入力の倍音構成を変化させない再生音を出すスピーカーを作成出来ないのでしょうか?コーン紙に粘着剤や補強材を後付けすると重くなり必ず能率が劣化します。またそれらの材料音が付加されるので音質の改善は期待できません。コルゲーションやリブの後付けも同じことです。重量の殆ど無い乾燥性の塗料を塗るとしても、これも音質面で害になります。しかし過去の名器、ドイツ製などヨーロッパのスピーカーコーン紙は中央部が変色しているが多く有ります。倍音構成のコントロールの手法かも知れません。しかし塗料を塗るだけでは無くてストラディヴァリウスの秘密のニスのような材料の謎も有るだろうし、塗る量、面積、ポイントなどはやはり名人芸で何かを掴んでいないと改善は難しいと思います。
だれにでも出来る方法は無いのでしょうか?先述したようなスピーカーのコーン紙の厚さ、材質、リブ、コルゲーションなどを色々変化させて数多く作成して、その中で偶然良いものが見つかる可能性は無いとは言えません。しかし写真撮影と同じで数撃ちゃ当たるということはまず起こりません。感性と経験のあるカメラマンだかこそですから、宝くじは期待出来ません。しかし可能性は有りますからチャレンジすることは悪いことでは有りません。
物を貼り付けたり、塗ったりせずコーン紙を非常に難しいですが、薄く削ればどうでしょうか?重くならず軽くなるから能率はむしろアップしますが分割振動は悪化します。
いろいろな方法が有りますが諦めずに挑戦するには、めくらめっぽうやるので無くて楽器の製造法、音質の調整法を研究すればきっとヒントが見つかると思います。楽器でも、ヴァイオンリンの材料、表板の削り方、内部の補強、魂柱の位置、弓を当てる位置、F孔の形、駒を立てる位置などヒントは有りそうです。もちろん、ピアノや管楽器にも秘密は有りますからかなり、勉強しなければ見つからないかも?スピーカーを製作、改造して成功するには音楽や楽器のことを知らないでオーディオ的知識だけでは芸術的レベルの完成は有りえないと考えます。しかし市販品でも名人芸のスピーカーは有るはずです、今お使いのスピーカーがそれで有る可能性は有ります。そんなにご心配は要りません。過去のヴィンテージ品では無くても有りそうです。ひょっとして愛用のスピーカーがそれだったということは?いくら好きなことを書きまくる私でも、ヴィンテージの名器の名前を明らかにしても現行品、販売中のスピーカーの具体的な名前は書けません。ヒントは続いて書いて行くつもりです。2way以上のスピーカーシステムはさておき、シングルコーンスピーカーには日本製でも名品が有るかも知れません。外国製品ではスタジオモニターのオーラトーンというのが有りましたが名器に属すると感じます。現行品でも聴いたことは無いがマークオーディオというメーカーのシングルコーンは良さそうな気がします。日本製のシングルコーンもいろいろ使ってきて過去の製品は経験していますが残念ながら演歌や和楽器の再生音は良いのに何故かフルオーケストラは哀しい音がしていました。多分倍音構成が日本の音楽向けになっていたのかも知れません。悪口では無いから誤解しないで下さい。音楽のジャンル、すみわけを製作者が意識して無かったのだと感じます。日本製ヘッドフォンも日本製シングルコーンと似た印象を個人的には持っています。例えば日本製のスタジオモニターヘッドフォンではフルオーケストラの再生は難しく感じてきました。次はお使いのスピーカーシステムの倍音構成が正しいかどうかどのように判断するか?について書いてみます。ご自分の音楽的経験、好みの音楽ジャンルに関係することで、これまたオーディオは触れることがタブーだったように感じています。中学生の頃、オーディオの黄金時代にオーディオ誌で印象深いことが掲載されていました。ライターがオーディオマニアのリスニングルームを訪問、いろいろなスピーカーシステムを持ち込んで試してみる企画でした。ライターがせっかく持ち込んだスピーカーシステムの再生音が気に食わない方、おじいさん?の話でした。結論は書いて無くめったに無いことでライターは?マークで終わっていました。
続く
2025.7.28 追記: 随分以前のことで良く覚えていませんが、そのライターにしては最新の複合型スピーカーの方が当然音質は良く、なぜそのおじいさんがあえて狭帯域の音質を好むのか不思議がっておられました。結論は有りませんがシングルコーンの帯域は狭いが素直さを好む方もおられるのだとの内容に思えました。このおじいさんはオーディオマニアで無くて、オーディオ装置で音楽の内容だけを楽しむ方だったのでしょう。一般的な記事としては当時の私(音楽的内容については興味は無くて、物理的音質の判断だけに集中している完全なオーディオマニアだった私)には奇妙に思えたのだったのでしょう。振り返ってみれば音楽家の井伊先生にお会いして音楽の魅力の教えが無ければ、そのまま物理的音だけさのオーディオマニアで終わっていたと思えます。シングルコーンの狭い帯域のどこが魅力なんだろう?と感じるほうがある意味では幸せなのか?でも音楽のために発展したオーディオのはずが、音だけのためのオーディオで終わるのも淋しい話です。